上神谷街道(にわだにかいどう)

2014年06月29日(日)15 : 31 : 28
「雨宿り」の続き

実を云うと、真っ黒なおじさんとは、
それ以前にも、その後にも時折すれ違っている。
家から南に下っている坂の下の方から同じペースで上ってくる。
ちなみに、この坂は通称 「つくもり坂」 と呼ばれていたが、
いつの間にかその坂をその名で呼ぶ人がいなくなり
そのいわれを知る人もいなくなった。
古墳から平安の頃、皇室の行列が通りかかり
皇室の具合が悪くなりその坂でうずくまってしまったと言い伝えられていた。
たぶん、もっと昔には皇室の名も伝えられたのだろうし、
看病した村人の名も伝えられたのだろうが、
歴史とは妙なもので突然にその名も言い伝えも消えてしまう瞬間があるらしい。
そのはざまに、その話を耳にしていたようだ。

もっとも私は幼少より成人過ぎまで過ごしただけで、
ここで生まれた訳でなく現在過ごしている訳でもない。

話を元に戻します。
その坂を下りきったところに小さな溶鉱炉を持つ工場があった。
そこで働く人は、鉱炉を傾け真っ赤に熔けた鉄を大きな柄杓に受けて
砂で作った型の中へ流し込んでいた。
真っ赤な鉄と水蒸気と煤の中で、
冬でもシャツ一枚で隆とした筋肉に汗を流していた。
いわゆる鋳物屋だったのだろう。
このあたりは陶器や釜室という名が残り
「日本書紀」に書かれた古い地名の「茅渟県陶邑(ちぬのあがたすえむら)」
にあたるとされ、陶邑窯跡群(すえむらようしぐん) (古墳時代から平安時代600~1000基)
があったところです。
今でも鋳物屋(セラミック)の上場会社があります。
いい塩梅に関連してきますね。
ちなみにそのあたりの溜池の周辺では
小学生でも簡単に土器の欠片を掘り出せた。

話をまた戻します ^^;
坂から上がってくるおじさんは
そこで一日働いて汗と煤のため真っ黒になっていたんだねぇ!
思い起こすと黒いのは奇異だったが、
ロダンのようなアスリート体型で、
見ようによってはかっこよかったかもしれない。
doki.jpg平安からのタイムスリップか・・^^;

それでおじさんは真っ黒だった!
って事で・・お終い・・?

(・・? 母が脱兎と跳び出したことですけど
あと少し、次回へ続けます。

ほんだらまた。
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Comment
Re: No title
おはよ

スエムラマップってよう知ってますねぇ!
堺だけの話やと思てたわ。

私も歳とってから歴史が面白く感じてきた一人です(^^)
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