お盆Ⅱ

2009年08月14日(金)16 : 23 : 23

今日の日記は主語が不明確で分かりにくので、                     
SF短編公募落選の駄文の下書きと思って暖かく見てやってくれ!
思い切って読まない手もあるぞ!                    


世はお盆。
その辺りにあの世から帰った人がいる。
宗派によってお盆の解釈が異なるが、
小乗、大乗あたりに違いは無いだろう。

死んだ人が大挙して現世に里帰りしているとすると、
ETCを付けていても三途の大橋は大混雑だと考えたりしたが、
実際は今いる人間の数とあまり変わらない人数のようだ。

それに輪廻転生のシステムがあるなら、
当然一つの意志が複数の人間をやってきてるのだから、
随分少ないのかも知れない。

 
もっとも宇宙生成まで遡れば、何も無かった。
中有(0の事)から陰陽(-+の事)が派生し
訳のわからん揺らぎ(余り等出るはずが無いが一応余りの事)とかがこの宇宙を織り成した。



もしそれを成した意思があれば、
それをとか(死者ではなく曼荼羅の中央の根本佛)とか云う。
その意思は多分に自分は愛だと思い上がっている。
でも自分以外何も無い空間でも時間でもない所で、それを自覚や体験する事が出来ない。
そして自分が愛と思っているものを実証したくて、
とうとうビックBANを起こしてしまったとんでもないおっちょこちょいで軽薄な奴だ。

時間と物質の制約の中に相対的に分裂した自分と同じ意思あるものを閉じ込めた。
そして自身も意思ある個々の中にあり、愛を体現しようとする。

その意思は宇宙の全ての者(物質も含め)の中に偏在している。
わが身を充て全てを創造し、自らすべてを体験するために。

結果、この世にこれだけ苦しみに満ちた意思たちを創造してしまった。
これで、自分がおっちょこちょいの自分勝手で残酷で浅墓な奴と自覚するはず!
それが、未だその事が分からないようで「あほ」も付け加えよう。

我々はそのあほの分身か。

それでも私は愛であると昔の折り畳み傘みたいなメッセージを唱うなら、
お盆くらい、愛が苦しみに勝る所を見せてもらおうか。
 「何であるアイデアル」植木仁のCM

さぁ早起きして墓参りでもしてこよぅっと
あんた一緒に来るか!?

ほんだらまた。

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